木漏れ日の光を浴び、見上げる空は蒼かった
私には昔から何故だか気になる場所がある。もう10年も前から気にはなっていたが、足を踏み入れることはしなかった。ただ通りがかるだけで、足を踏み入れることもないと思っていたのか、足を踏み入れる事がなんだかその場所を汚すのではないかと思うように感じていたのかどちらかだ。今、考えると行動に移せなかったのは後者だろう。そこには、大きな楠があり、樹齢数百年はするだろう大きな幹をしていた。その幹には注連縄がまかれており、そこだけは何故だか神聖な場所に感じられた。私は最近、長く見つめてきたその場所に足を踏み入れる事を決めその楠のある場所の階段を上り幹のフレッツ光ネクスト Bフレッツ 違い前までやってきた。眺めていても凄いと思っていたが、実際、目の前にするとより神聖な聖域に踏み込んだ感じがし、そして、今まで遠目でしか見てこなかった為、気付かなかったが、自分が登ってきた階段の真反対にも階段があり、そこには小さいが鳥居があった。また、上がりきったところには狛犬がおり、小さな祠が置かれていた。そこには毎日焚かれているのであろうか、蝋燭の跡が残っており、神主もいないこの場所だが、誰かしらに愛されている場所だと知った。確かにカーシェアリング比較この場所は愛される場所かもしれないと私は心からコンタクトレンズそう思った。この場所を包む気は町の中でありながら優しくて、風が吹けばサワサワと葉がこすれる音がする。幹に耳を当てれば地中からコンコンと水が吸い上げているようなそんな錯覚すら起こすような場所だから。私は下からこの大きな木を仰ぎ見た。覆い茂葉は青々としており、まだまだこれからも年月を重ねていくだろうこの木を想った。見上げる木の狭間から降り注ぐ木漏れ日は眩しくて手をかざし見つめると指の隙間から見える空はとても蒼く綺麗だった。それから、しばらくそこでゆっくりして、立ち去ったが、またその場所を通った時に私はこの場所はやはり愛されている場所なのだと確信を持った。そこには5、6人の人達が集まりその木の下で食べ物や飲み物を持ち寄り語り合っている姿を見た。(しかし、ゴミなど決して落ちていない。)あぁ、この人達は心からこの場所を大切にし、信仰してきているのだなと感慨を覚えた。誰かに強要されている様子もなく、自分たちからその場所を大切にしていると見て取れた。その光景を見て、なんて美しいのだろうと思いそれが、これからその地域に住まう若者達にも浸透していく事を心から願った。